なぜ、救い?  ヨハネ 3:16-17

 

先週からアドベントに入りました。日本語では待降節と言います。待つという字に降るという字ですね。イエス・キリストの誕生を待ち望むときです。もちろん、イエスはすでに2000年ほど前にお生まれになりましたが、そのお誕生は私たちすべての者にとって、そして歴史上決定的な出来事であったために、その出来事を偲び、イエス誕生の意味を噛み締める、そんな時としているわけです。なぜ決定的な出来事かと言いますと、今日のテキストで読みましたようにイエスはあなたの、そして私の、全ての人の救い主であるからです。救い主が誕生された。それがクリスマスの出来事です。建物で一番チェックしなければならないのは土台だそうです。基礎の部分ですね。そこにヒビが入っていたりすると地震に耐えられない。だから、時々チェックしなければならないそうです。今日、ライブで礼拝を守っている方々に多くのキリスト者がおられると思います。イエスを救い主と信じている人たちです。そのような方にとっては、これからクリスマスに向かって毎週語られるメッセージは、もう知り尽くしていることかもしれません。新しいことは何もないでしょう。でも、信仰の土台、キリスト者としての出発点をチェックするような思いでお聴き願えればと思います。また、まだ福音を知らない方は、聖霊の働きにより、このメッセージによってイエスに出会い、イエスこそがあなたの人生に決定的なお方であることを知って頂きたいと思います。さて、ヨハネの福音書から、「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われるためである」と聴きました。世と言っているのは、何か私たちの外にある、わたしたちを囲む環境としての世という意味ではありません。世の人々という意味です。あなたや私のことです。ですから、一人一人、個人に当て嵌めるならば、「神は、その独り子をお与えになったほどに、あなたを愛された。あなたが信じて滅びないで、永遠の命を得るためである。神が御子を遣わされたのはあなたを裁くためではなく、御子によってあなたが救われるためである」と読むことができます。そこで、思われるのではないでしょうか。滅び?救われる?私が?なぜ滅びるのか、何から救われる必要があるのか?金持ちではないが、経済的にはそこそこやっていて滅びるとまでは思わない。健康面でもまあまあ年齢相応で、特効薬による救いを待っているというわけでもない。滅びも救いも無縁ではないだろうか。そう思われるでしょうか。もしも、そのようなご感想をお持ちの方がおられたら幸いです。今日のメッセージは、その方のためのものだからです。聖書は、わたしたちみんな、例外なく滅びに向かっていると警告します。どんな滅びか。黙示録20章11節から14節を読みますと第二の死というものがある。肉体の死が第一の死、そして魂の死、霊の死です。死と言っても無になるのではなく、神様から永遠に切り離された状態で存在し続ける。愛も恵みもない世界を自ら選び取って、そこに行ってしまうということです。なぜ、そんなことにならなければならないのかというと、聖書はわたしたちに罪があるからだといいます。ここでの罪は盗みや傷害、詐欺といった犯罪という意味ではありません。そのような行為にはならなくても心の中で羨む、憎く思う、腹が立つということでもありません。それらの思いを生み出す自分中心の在り方を言います。あり方、思い、行為の順番です。また、罪とは的外れという意味だそうですが、神に愛されている作品としての自分なのだけれど、自分は足りない、ダメだ、それに比べてあの人は・・と自分を否定するあり方、そこから、少しでも上に、ちょっとでも人に一目置かれるようにと自分を飾る。富で、地位で、物で・・。そのような生き方を偶像礼拝と言いますが、神様に良しとされている自分を認めない。神様と人生を共有して歩む。神様を喜び、その喜びが神と人に仕えるというあり方に現れる。そこから的外れになってしまう。神様がおっしゃる罪とはそういう事です。しかし、本当に神様が伝えようとしておられるのはここから先です。クリスマスが、イエスの誕生があなたにとって、歴史にとって決定的な出来事であるのは、自分ではどうすることもできない罪の問題、預言者エレミヤがその預言書13章23節で黒人であるクシュの人が皮膚の色を変えることができないように、ひょうがまだらの皮を変えることができないようにと表現した、またパウロがローマ書7章18節で「善をなそうという意思はありますが、それを実行できない」と言っているように、どんなに力のある人でも自分自身を持ち上げることはできないように、罪の前に全く無力な、だから滅びに向かうその方向を自分で変えることの出来ない私たちに救い主を送って下さったという出来事であるからです。イエス・キリストがわたしたちの罪を負ってくださった。身代わりとなって裁きを受けて下さった。イザヤ書53章はイエスの死の意味をこう伝えます。4節から読んでみましょう。「彼が担ったのはわたしたちの病 彼が負ったのはわたしたちの痛みであったのに わたしたちは思っていた 神の手にかかり、打たれたから 彼は苦しんでいるのだ、と。彼が刺し貫かれたのは わたしたちの背きのためであり 彼が打ち砕かれたのは わたしたちの咎のためであった。彼の受けた懲らしめによって わたしたちに平和が与えられ 彼の受けた傷によって、わたしたちはいやされた。」神様は、あなたを惜しまれた。滅びるのを悲しまれ、嘆かれた。あなたを愛しておられるから。そして、滅びから救うために、罪を赦すために独り子イエスを誕生させてくださったのです。わたしたちと同じ体を持ち、わたしたちと同じように喜び、悲しみ・・、しかし罪のないお方。そのお方があなたを愛する故に十字架にかかって下さってくださいました。クリスマスはイエスの誕生を思い巡らすと同時に死を思い巡らす時だと思います。イエスは、十字架で死ぬために、あなたを救うためにお生まれになったからです。クリスマスの出来事は、あなたにかかわる個人的な出来事です。イエスがあなたの救い主であることを喜びましょう。「イエスは、わたしの救い主です」と告白しましょう。その時、あなたの人生はまったく新しいものとなります。光が差し込みます。永遠の命に生きる歩みが始まります

 

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