バプテスマ(洗礼)の喜び  使徒 2:37-38


今日は、母と二人の青年がバプテスマを受けられます。お二人は、まだ小さい時にいわゆる幼児洗礼を受けられました。ご両親は心から神様を愛する方で、その信仰の故にお二人に洗礼を受けさせたのだと思います。その後お二人は信仰をもたれ、長い間信仰生活をされました。ご両親とともに、心から主を愛するお二人です。それなのに私たちの教会のメンバーとなられるにあたり、今日なぜバプテスマを受けられるのかと申しますと、このことは後でも触れるかもしれませんが、信じてバプテスマを受ける、信仰を告白した人がバプテスマを受ける、だから、まだ神様を信じるとかイエス様の贖いを信じるということが出来ない赤ちゃんや幼子がバプテスマを受けるということはないのだという私たちバプテスト教会の伝統を尊重してくださったからです。そのことについて、お二人に感謝したいと思います。さて、バプテスマ式はいつも喜びの時です。今日は、その、バプテスマの喜びを神様の喜び、教会の喜び、そしてご本人の喜びという三つの点から語りたいと思います。バプテスマは、神様の喜びの時です。なぜならば神様は、そこに主に従う人を見るからです。主に従うというのは、変な言い方ですが普通の見方をすればバカげたことに見えることも多いのです。私が親しくしていただいている韓国人の牧師がいらっしゃいます。本当に波乱万丈、証しに満ちたの人生なのですが、あることがあって日本に来られて、これ又不思議な導きである事業にかかわることとなって大成功を収めました。たった数年で新宿に本社を構えるほどになったそうです。しかし、代理店の倒産をきっかけにしてあっという間につぶれてしまい、大きな借金だけが残ったそうです。どうしてこんな事になったのだろうと考える中で、先生は高慢になって「自分も大したものだ」という思いになっていたなと気づかされて神様の前に深く悔い改めたそうです。そして、今度こそは神様に自分を全部ささげようという思いとともに、新天地を求めて家族を連れてアメリカに渡ったそうです。そして道を拓いて下さるように祈っていると、何と神様は日本に戻って伝道しなさい、と言われたのだそうです。「なぜですか、神様。日本で本当につらい目にあったのをご存じでしょう」。でも、祈れば祈るほど日本に帰りなさいという神様の御旨がはっきりしてきました。家族に話すと、「アメリカに来たばかりなのに」と賛成してくれません。そこで先生は、神さまは家族に日本で伝道をせよとは言っておられない、自分一人に言われた、ということで一人日本に戻ってこられたそうです。そして数年後の今、ある日本人の教会の牧師をしておられます。普通にはばかげた決断かもしれませんが、先生は主に従ったのです。この先生ほどにドラマチックではないかもしれませんが、主に従うということは自分の思いや願いと全く異なる方向に行かなければならないことが多いのです。バプテスマも考えてみればなぜ受けるのでしょうか。イエス様を信じればそれでいいではないか。バプテスマによって救われるのでも救いが完成するのでもないではないか。でも主が言われるのだから、主に従いたいから、主が受けるように望まれているから受ける。そこに神様との絆が生まれます。神様は、そのことを何よりも喜ばれるのです。二番目に、バプテスマは教会の喜びの時です。なぜなら、主イエスから託されている、お願いされている事柄の実を見る時だからです。イエス様はおっしゃいました。「全世界に行って、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は救われる」。マルコによる福音書16章15節、16節の言葉です。もう少し詳しく見てみましょう。使徒言行録2章です。ペンテコステの日の出来事が伝えられています。その日、弟子たちに聖霊が下りました。そして、ペトロは立ち上がり、イエスがメシア、救い主であることを人々に語りました。31節、すると人々はこれを聞いて大いに心を打たれ、「私たちはどうしたらよいのですか」と尋ねます。ペトロは「悔い改めなさい。めいめい、イエス・キリストの名によってバプテスマを受け、罪を赦していただきなさい」と勧めます。その言葉を受けて、3,000人ほどの人がバプテスマを受けて教会に加わったとあります。すごいですね。3,000人ですよ。でも、私たちが今ここで見なければならないのは数ではなく、教会が、先程読んだ福音をのべ伝えなさいという主の委託、命令に従って悔い改めなさい、信じてバプテスマを受けなさいとメッセージを語った。それに応答してこのときには3,000人の人がバプテスマを受けたということです。しっかりとイエス様の願いに応えた、福音を伝えたのです。そして、その実が悔い改めた人、イエスを救い主と信じた人たちのバプテスマです。だから、バプテスマの時は、自分たち教会が主の御用に携わらせて頂いていることの実を自分の目で見るときであるのです。そして、神様とともに喜ぶ時なのです。バプテスマは教会の喜びの時です。そして、三番目にご本人の喜びの時です。主に従うことは喜びであり祝福なのだけれど同時に勇気のいることでもあります。その主に従うことの第一歩がバプテスマなのです。そしてまた、イエス様を信じたことによって自分に起こったことを証しする時でもあります。バプテスマは死と復活を象徴します。水の中に立ち、沈められ、また水から出てくることは、イエス様が私の罪の裁きを受けて下さって死に、葬られ、復活したということを表すものであり、同時に神を知らず、従うことなく、自分を中心として生きてきた私は死に、葬られ、主とともに歩む者、主に従う者として復活して新しい人生を歩み始めるのですということを表すものです。バプテスマを受けるとき、イエス様を信じた時に自分の身に起こったことを再度確認してしっかりと受けとめる喜びがあります。そして、これから主とともに歩むのだという喜びがあるのです。まことに、バプテスマは喜びの時です。神様の、教会の、そして受けられるご本人の喜びの時なのです。

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