信仰から信仰へ  ローマ 1:17

東京オリンピックまであと2年です。いろいろな競技の中で日本のお家芸と言われるものがあります。体操、水泳、ソフトボール、レスリングもそうでしょうか。このお家芸、その時代時代でいろいろ変わるようですね。かつては、三段跳びがお家芸だった時があったようです。今、新しい国立競技場の建設が進められていますが、旧競技場には小田記念ポールというのがありました。100メートル走のスタート地点のそばです。高さは15メートル21センチでした。随分中途半端な高さですけれども、ちょうど90年前にアムステルダムオリンピックで小田幹雄という人が三段跳びで優勝した時の記録なのです。三段跳びという競技の名前も小田さんがつけたそうです。私は、三段跳びをやったことはありませんが、最初のジャンプがうまくいくかで二歩目のジャンプが決まり、二歩目のジャンプがうまくいって三歩目のジャンプが決まるそうです。ホップ、ステップ、ジャンプと流れるように飛ぶわけですね。今日読んだみ言葉は「始めから終わりまで信仰によって実現される」とありました。信仰にホップ、ステップ、ジャンプがあると言いますか、信仰とは止まったものではなく流れるような動きがあるべきものだということでしょう。今日は、信仰のホップとは、ステップとは、そしてジャンプとは何かと、そんな視点からこの聖書個所を読み解きたいと思います。まずホップ、一歩目、信仰の始まりです。それは、神様の存在を知る、ということでしょう。神様は被造物の世界を通して存在を知ることができます。先週は、ニュートンの机にあった太陽系の模型が偶然にできたのではないように、ましていわんや比較にならないほど複雑で精巧な本物の太陽系が偶然にできたなどというのは愚かな事であり、背後にそれを造られた方がおられることを話しました。教会には農園があります。収穫に行きますと、いろいろな昆虫に出会います。何をしに来ているのかといいますと、蜜や樹液を取りに来ています。作物の方は、ただとられて損をしているのかといいますとそうではなく、昆虫によって受粉して、実をならせることができます。長い時間の進化の中で学んだ知恵なのでしょうか。そうだとしたら、まだ知恵を獲得していない間にどうして滅びなかったのでしょうか。自然を観察するならば、そのような不思議に満ちています。そして、その不思議は神様の存在を私たちに教えてくれています。そのことをローマ書1章20節は、「世界が造られた時から、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます」と言っています。そして、詩編14編1節を口語訳で読みますと、「愚かな者は心の内に『神はない』という」とあります。自然の内に神を見ないのは、意志によります。見ているのだけれど見ない。心の中で神はない、というのです。信仰の第一歩、ホップは神様の存在を知ることです。しかし、日本にヤオロズの神がいますし、いったいどれが本当の神様なのかということがあります。信仰の二歩目、ステップはイエス・キリストが神であることを知ることです。神様は、私たち人間を含めたすべてを造られた後はじっとしている方ではなく、また、私たちのあり方に無関心でいる方ではありません。神は、人をご自分の形に造られたと聖書は伝えます。自分の形に、というのは、交流すること、愛し合うこと、信頼し合うことができるものとして、ということです。神様は人と、この木の実だけは食べないこと、これを友情と信頼、そして愛のしるしとしようと約束しました。しかし、サタンにそそのかされた人は神との関係に生きるよりも無関係に、愛し、従う生き方よりも支配し、従わせる生き方を選びました。自分が神、つまり中心になろうと決めたのです。まず自分の得、自分の思いが通ること、仕えられることを幸せとしたのです。このように神様から離れることを罪といいます。罪には裁きが伴います。皆さんも不正はちゃんと償ってもらわなければならないと思われるでしょう。神様は、私たちに罪の裁きを下されました。しかし、それは私たちの上にではなく、ご自分のみ子イエス・キリストの上に、全く罪の性質がなく、だから罪を犯すことがないイエスが、私たちの罪を負って、さばきを引き受けてくださいました。このイエスが救い主だ。イエス様によってわたしの罪は赦され、神様と和解し、神様のところに帰ることができた!これが信仰のステップです。まだ、イエスを救い主と告白されていない方は、ぜひ、今日告白していただきたいと思います。あなたの永遠が掛かっています。あなたの、この地上での人生の質が掛かっています。「今や、恵の時、今こそ、救いの日」。しかし、日は沈む時があるように、恵の時、救いの日は永遠に開かれているのではありません。もしかしたら、今日閉じられるかもしれません。私たちは、いつ命が尽きて信仰を持つ機会が閉じられるかわからないからです。さて、続けましょう。あなたは信仰を持たれました。ここで止まっては三段跳びのジャンプは完成しません。競技に参加したことになりません。しかし、実は、ここで止まってしまうクリスチャンが大勢いるのです。もったいないことです。競技途中で止まってしまう。水泳だったら、プールの真ん中で満足して泳ぐのをやめてしまう。何ということでしょう。ホップ、ステップ、そしてジャンプです。ここで大きく飛ぶことができるのです。ジャンプは、イエスを主として生き始めることです。イエスを主として生きるとは、どのような生き方を言うのでしょう。まず出発点は、生活現場を受け止める事です。多くの人が、それを避けて生きているのが実情です。意識的な場合もあれば、無意識の場合もあります。無意識の場合とは、家の中の人間関係に解決すべき事があるのだけれども、それには目を向けずに親の側は、ひたすら仕事人間になるとか、子どもの側ではがり勉になるとか、世間的に見れば健全な生活に見える方法である事もあれば不健全に見える方法である事もありますが、とにかく真正面から取り組むことを避けるのです。確かに面倒くさいし、何が飛び出てくるか分からないから怖いとも思う。でも、現場で起こっていることを認める事です。そして、その中で祈る。真剣に祈る。自分をかけて祈る事です。御言葉に聴く。聴いて、聴いて、神様の言葉が聞こえるまで聴き続ける事です。すると、神様は必ず語りかけて下さいます。思いもかけない助け手が与えられることもあるでしょう。しんどいことだけれども、どうしてもこれをやるべきだという道が示されることもあるでしょう。とにかく、期待して祈り、聴き続け、聞こえてきた事に従う事、聞こえてこないうちは動かない事です。今ある状況に反応しない事です。昔、アブラハムは飢饉に見舞われた時、その状況に反応して食べ物の豊かなエジプトに下り、結局それが正しい対応でなかった事を思い知らされました。荒野を旅するユダヤの民が、神様の臨在の雲の柱、火の柱が動くときには動き、とどまる時にはどんなに動くのに好都合な日に見えても動かなかった事に学びましょう。最後に、信仰のホップ、ステップ、そしてジャンプするためにはフライングをしないようにしなければなりません。信仰のフライングは律法主義や偶像礼拝に陥る事です。イエス・キリストにおいて神様と和解し、罪は完全に赦されているにもかかわらず、自分の欠けや罪深さにとらわれて神様との関係を疑ってはなりません。こんな自分を神様が愛して下さるはずがないという思いはサタンからの思いです。偶像礼拝は、神様以外のものにも信頼を寄せる事です。物や金の事もあるでしょう。これは、分かりやすい。それと同時に、星占いや手相とか、その手の類ともしっかり縁を切らなければいけません。そして、ジャンプ競技は個人競技かもしれませんが、それでもチームプレーです。コーチがいて、栄養を管理する人がいて、メンタルな部分を支える人がいて、そして一緒にトレーニングをする仲間がいます。信仰生活も個人競技になぞらえる事が出来る部分が確かにありますが、でも仲間がいて、祈り合って、支え合って、という面でチームプレーです。教会というチームで一人一人が信仰生活をするのです。今、これから第一歩を踏み出そうかなという方がおられますか。ぜひ、そうして下さい。イエスを信じたところでとどまっているという方がおられたら、ぜひ次の一歩を踏み出して下さい。イエスをあなたの人生の主として下さい。一緒に競技をしましょう。一緒にイエスに従う歩みをしましょう。祈り合いながら。励まし合いながら。

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