将来に期待する方法 Ⅰ ローマ 8:18-30

皆さんは、ご自分の将来に期待しているでしょうか。期待すべきだし、期待できるのです。今日は、どのようにして将来に期待するのかを学びましょう。読んで頂いた聖書個所は、歴史のゴールについて語っています。わたしたちは、どうなるのか。環境問題が取りざたされていますが、自然の世界はどうなるのかが知らされています。そして、そのゴールをどのようにして、その将来をどのように期待して待つべきかを教えています。神様の大きな物語のゴールをどのように待つべきなのかです。そして、それを学ぶことはすなわち、わたしたちの人生においてどのように将来を期待するべきなのかを教えてくれます。まず、神様の物語のゴールです。人類には未来があります。その未来は、回復の未来です。回復という事は、何かが壊れたり失われたりしてしまって、それが元に戻されるという事です。失われた物は何か。それは平和です。神様と人との平和、そして自然の世界の平和です。そもそも人の世界は、神様の平和が支配していました。争いや憎しみ、ねたみや嫉妬というものはなく、従って傷つけあったり、ましてや殺し合ったりという事はありませんでした。その平和は神様との約束に基づくものでした。神様に信頼するという約束です。それは、一本の木の実を食べないという約束によって象徴されていました。しかし、ある時誘惑する者が来て、そんな約束はつまらない。自分の思いのままに生きる方がいいと言いました。人は、その通りだなと思い、神様に従うのではなく自分自身に、自分の思いに従う事としたのでした。しかし、将来を豊かにするのではないかと思われた方針転換でしたが、各自が自分の思いに従う事は競争を生みだし、争いをもたらし、戦いをもたらしたのでした。今、世界に平和がないのは、不平等や不正義が横行しているのはここに原因があります。しかし、私たちには回復の希望があります。既に、その回復の手付金は支払われました。それがイエス・キリストの贖いでした。神の子が人となってこられ、人の罪を負って裁きを受けて下さった。それがイエスの十字架でした。しかし、それは神様の物語の完成ではありません。18節にありましたように、現在は苦しみがあるのです。一人一人に苦しみがあります。生きる上の苦しみ、病や人間関係、経済の苦しみがあります。なすべき正しいことを分かっていながらそれを出来ず、なすべきでないことをしてしまうという苦しみ、良心に従いきれないという苦しみがあります。更には、パウロがさまざまの苦難の上に兄弟からの苦しみがあると言ったように、教会の中での困難もあるかもしれません。しかし、「将来私たちに表されるはずの栄光に比べると取るに足りない」とパウロは言います。手付金だけでなくすべてが実行される時。罪が赦されただけではなく、罪から解放される時、19節に言う「神の子たちの現れる」時が来るのです。もう、正しい事が何か分かっているけれどもする力がないとか、正しくないと分かっていながらしてしまうという悩みは無くなります。今は、神様をおぼろげに見ていますが、その時には目と目を合わせてみるようになります。まさに、神が人と共に、人は神と共にいる、そういう時が来るのです。23節の、「体が贖われる事」とは、そのようなことを意味しているのです。これが将来の希望です。被造物も切に回復を待っていると19節は言います。人類の救いが完成される時、被造物の世界も回復されます。人が自然を乱用する事も無くなります。自然の世界に弱肉強食も無くなります。イザヤ書11章6節から8節にあるように、「狼は子羊と共に宿り 豹は子山羊と共に伏す。子牛は若獅子と共に育ち 小さい子どもがそれらを導く。牛も熊も共に草をはみ その子らは共に伏し 獅子も獅子も等しく干し草を食らう」という世界が現れるでしょう。さて、どのようにしてその将来を期待して待つべきでしょうか。まず、待ち望む事です。じっくり構える事です。23節に「心の中でうめきながら待ち望んでいます」とある通りです。わたしたちは待たない世界に住んでいます。インスタント食品、レトルト食品はもちろん、自分で作るにしてもインターネットを開けば短時間で簡単においしいものが作れるレシピが手に入ります。以前カウンセリングのセミナーをしていても実によく分かりましたが、人は自分で考える事が苦手になってきました。人間関係うまくやるには、子どもと上手にかかわるには・・、早く答えをください、という感じです。祈りについてもそうです。すぐに、思い通りに答えて欲しい。イエス様の、「門をたたき続けなさい、そうすれば開かれる」という言葉は、「一回門をたたきさい。そうすれば開かれます」と読み替えられてしまったかのようです。でも、じっくりと構えなさい。つまり、今日、明日の一日一日を神様を見上げつつ足を地に付けて歩きなさいという事です。その時に、神様と共に歩む感動があるのです。昔、山登りをしていました。結構きついです。汗はだらだらというよりも、噴き出した汗の塩で服が白くなります。ロープウェイで登れば楽ちんです。何時間もかかって登るところを10分とかで登ってしまいます。でも、山頂から景色を眺めるときの感動が違うのです。残る記憶の色が違うのです。ローマ書5章1節から5節は言います。「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており、このキリストのおかげで、今の恵みに信仰によって導きいれられ、神の栄光に与る希望を誇りにしています。」ここでも、私たちには希望があると断言されています。そのうえで、続けて読みますと、「そればかりでなく(希望を誇りにしている上に)、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです、苦難は忍耐を、忍耐は練達を、練達は希望を生むという事を。希望はわたしたちを欺く事がありません」。希望がある。その希望は、試練と練達の中でしっかりとしたものにされて行くのだと語るのです。あなたの人生の物語でも同じです。希望があるのです。主によって、主と共にあなたの人生を最高に生きる希望です。そして、その希望は忍耐の中で、日々の歩みを踏み固めて歩む事の中で実現していきます。今、苦しいかもしれません。Eテレの子ども向け番組で、物や生き物の一部分を見せ、なんだか分からなかったらもう少しの部分を見せ・・という風にして、だんだんと全体に近くなっていく。そして、ついに「あー、バナナだ」という風になる。わたしたちの日常もそんなものです。なんだか訳が分からない。でも、日々の出来事が組み合わさって神の景色になって行くのです。わたしたちが将来に期待するには。今日は、待ち望むという事について共に聴きました。再来週は、残りのいくつかを、今日と同じ聖書個所から聴きとって行きたいと思います。

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