将来に期待する方法 Ⅱ ローマ 8:18-30

先々週は、この聖書個所から人類の将来、また自然界の将来に期待していいのだということを聴きました。そして、わたしたちはどのように期待するべきかを聴きました。また、それはすなわち私たち一人一人の将来に期待していいのだ、期待すべきなのだということを聴きました。そして、期待するにあたって待ち望む事が大切であると聴きました。ローマは一日にして成らず。希望はインスタントラーメンのように3分で出来上がりというものではない。じっくりと醸成されていく品質の良いワインみたいなものです。今日は、さらにいくつかの点を学びたいと思います。わたしたちは、どのような態度、姿勢で期待するのか。二つ目は、正しい評価をするという事です。18節に、「現在の苦しみは、将来私たちに現れるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしたちは思います」とあります。現在だけを見て評価するなら、それは苦しみとしか言えないかもしれない。しかし、将来現れる栄光を知っている。それに照らして評価するならば、今の苦しみは取るに足りないというのです。わたしたちは、得てして近くだけを見て評価しがちです。今、自分がどのような状況の中にいるか。今、あの人はどんな状態か。それによって自分をみじめに思ったり、被害者意識を持ったり、また人を羨ましく思ったりするものです。しかし、神様が導くところに期待して現在を見なさいという事でしょう。ずいぶん前のボクサーですが、ガッツ石松という人がいました。引退してからタレント活動をしたりしていたようですので、ボクシングに興味のない人でも覚えておられるかもしれません。あるときわたしは、それももうたぶん20年近く前だと思うのですが、彼がラジオのトーク番組に出ているのを聞きました。中学を卒業して、いわゆる集団就職でしょうか、東京に仕事をしに来たそうです。毎日汗水たらして、将来の出世を夢見ていたでしょうか、一生懸命に頑張っていたのです。そんな彼がボクシングを初めてて見ました。スポーツとしての魅力もさることながら、世界チャンピオンになったら大きなファイティングマネーがもらえることを知りました。その時、すぐに決心したのだそうです。“よし、世界チャンピオンになって親に楽をしてもらおう。”昼は仕事をしながら、5時になったらジムに行ってボクシング三昧。日曜日も何もなく、ボクシング漬けの生活をしたそうです。その時、アナウンサーが聞きました。「ガッツさん。でも、その時は10代後半。休みの日には美味しいものを食べたり映画を見たりして遊びたかったでしょう。それにデートだってしたかったのではないですか。」その時、ガッツ石松は、間髪をいれずにこう答えたのです。「いえ、デートとか遊ぶとか全く考えませんでした。だって、世界チャンピオンになるって決めたんですよ。遊びやデートは頭の中にありませんでした。」アナウンサーが不思議な質問をすると言わんばかりの口調が伝わってきたのを憶えています。彼は、正しい評価をしていたのです。今、苦しい。昼は仕事、夕方からトレーニング、休みは全くない。なんて過酷で惨めな生活だろう。ではなかったのです。将来に希望がありましたから。世界チャンピオンになることを期待して、いや、決めていましたから。それがなかったら、確かに苦しいし、つらい、面白いことは何もないという評価だったでしょう。しかし、将来を見ていたから“今の苦しみは取るに足りない”と評価できたのです。将来世界チャンピオンになることの価値を評価するなら、今の苦しみは物の数にも入らなかったのです。あなたは将来のビジョンがまだ具体的になっていないかもしれません。それがあれば期待もし、正しく現在を評価も出来るだろうというかもしれません。それならば、もしも今ビジョンが見えないなら、一日一日をこつこつと生きてみてください。前回もお話ししましたが、そうするならばあなたのではなく神様のビジョン、あなたが最高に生かされえるビジョンが与えられますから。また、私には夢がある、神様に与えられ、神様と共に見る夢があるという方は、そのことの絶大な価値に比べて今の、今日の出来事を評価しましょう。次に26節を見ますと、「霊も弱いわたしたちを助けてくださいます。・・霊自らが、言葉に表せないうめきを持ってとりなして下さるからです」とあります。ここに霊とあるのは聖霊の事です。将来に期待する方法の三つ目は、聖霊なる神様と交わるという事です。ヨハネの福音書14章16節を口語訳で読むと、イエス様は「私は父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなた方と共におらせてくださるであろう」とおっしゃっています。そして、マタイの福音書28章20節では、「私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」と約束しておられます。つまり、イエス様は、聖霊様として世の終わりまで、いつもあなたと共にいてくださいます。聖霊様は、弱いわたしたちを助けてくださるとあります。将来に期待するといっても、弱いわたしたちは、やはり現実に視線をとらわれて元気が出ないという事があるかもしれません。しかし、聖霊なる神様は、その事をご存じで助けてくださるとあります。その聖霊様は、ローマの信徒への手紙に戻りますが、8章26節で「私たちはどう祈るべきかを知りませんが、霊自らが、言葉に表せないうめきをもってとりなしてくださる」とあります。わたしたちは期待をもって祈るべきだ。でも、祈れない時があるかもしれない、祈れと言われても言葉がない、どう祈っていいのかわからない時があるかもしれない。祈れと言われても気持ちのついていかない時もあるだろう。しかし、そんなとき聖霊様が、あなたの代わりに、あなたのために祈って下さっている。あなたは忘れられていない。あなたの信仰はあなたの個人的な事柄ではない。神様の事柄でもあり、聖霊様はあなたの信仰に、祈りに参加してくださっているということです。そして、聖霊の祈りは必ず聴かれる。どんな形で?28節、「万事が益となるように共に働くように」祈って下さり、必ずそのようになるという約束です。29節、30節は、このことがあなたの事柄であるよりもむしろ神様の事柄、神様のご計画であることを語ります。「神は前もって知っておられた者たちを、み子の姿に似たものにしようとあらかじめ定められました・・召し出した者たちを義とし、義とされた者たちに栄光をお与えになったのです。」人類の希望の成就。そして、あなたの人生の希望の成就、それを期待して待ち望み、その希望に照らして今のありようを正しく評価し、聖霊の助けに支えられ、日々の歩みをすることは、希望の成就と共に、すでに栄光の歩みであるのです。

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