希望の光 イエス・キリスト イザヤ 8:22-9:5、ルカ 2:1-7

クリスマスおめでとうございます。今日は、旧約聖書のイザヤから一か所、そして新約聖書のルカによる福音書から一か所読んでいただきました。どちらもイエス・キリストに関する御言葉です。イザヤ書の聖書個所はやがてお生まれになるイエスについての預言。そして、ルカによる福音書はそのイエスがお生まれになったことを伝える個所です。イザヤ書が書かれたのは、イエスがお生まれになるよりも700年ほど前です。二つの記事には700年の時間の開きがある事になります。そして、もうあげましたように、どちらもイエス・キリストに関する預言です。二つの時代には共通点があります。どちらも、神の民であるユダヤ人にとって暗い時代だったという事です。イザヤ書の1章1節を見ますと、ユダの王、ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの治世にイザヤが預言した言葉だとあります。ダビデ、ソロモンの時代に栄華を誇ったユダヤ王国でしたが、その次の代になると南北に分裂してしまいました。北王国は悪王が続き、紀元前721年に滅亡します。南王国は南北に強力な国が勃興する中で善王、悪王の登場を繰り返しながら、徐々に国の力が弱まって行きます。人々の心は荒み、不正も横行し、神様に信頼するよりも強国との同盟に頼るようになります。と同時に、それらの強国が祭る神々、人が作った偶像の神々を礼拝するようになってしまっていたのです。真の神をあがめ、すべての人に伝えるという神の選びの民の姿は見る影もなくなっていきます。そのような暗い、希望の見えない時代にあって神様は預言者イザヤを通して語るのです。「闇の中を歩む民は、大いなる光を見 死の影の地に住む者の上に、光が輝いた」そして、5節の言葉を聞きます。「一人のみどりごがわたしたちのために生まれた。一人の男の子がわたしたちに与えられた。権威が彼の肩にある。その名は『驚くべき指導者、力ある神 永遠の父、平和の君』と唱えられる」。神は語ったのです。あなた方は落胆してはならない。あきらめてはならない。希望があるのだ。神様は、あなた方を見捨ててはいないのだ。今、あなたが闇の中を歩いている。しかし大いなる光を見る。死の影の地に住んでいるかのようだ。しかし、まさにあなた方の上に光が輝くのだ。それは、メシアの約束でした。一人のみどりごとはやがて来る救い主イエス・キリストのことを指していたのです。でも、あなたはおっしゃるかもしれません。そんな遠くのことを約束されても何になるのだ。今、わたしたちは救いが必要なんだ。その通りでしょう。しかし、神様がおっしゃったのは、あの初めの約束、あなた方に、そして全世界に救い主を与えるという約束をわたしは忘れていない。決してあなた方の救いを忘れていない。その私が、どうして今のあなたのことを忘れようか。わたしを信じなさい。私に帰りなさい。そう呼び掛けていたのです。イザヤの時代の人たちは、この神の言葉に聞くことをしませんでした。その結果、彼らは国を失う事になってしまいました。でも、あの約束、一人のみどりごを与えるという約束は失われませんでした。ペテロの手紙一1章24節に「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない」とあります。神様の言葉は変わることがないのです。ウジヤからちょうど20代目にマリアの夫となるヨセフが生まれます。このヨセフの時に処女マリアによって一人のみどりご、イエス・キリストが誕生したのです。この時も暗い時代でした。バビロニア帝国に捕囚とされ、ペルシャ帝国の支配下にはいり、ギリシャの配下にも入った後に、ひところ独立を回復したユダヤでしたが、今度はローマ帝国の属州となりました。人々はローマ軍の監視のもとにあり、独立運動を試みた人たちは激しい弾圧を受け、というよりも根絶やしにされてしまいました。経済面でもローマの重税に苦しみます。自分の生活を支えてくれるための重税ならまだしも我慢できるかもしれませんが、それらはローマのために使われる税金です。神殿での礼拝も既得権を守ろうとする祭司階級、律法学者たちの物となり、彼らの収入源にすぎないかと思われるようでした。人々は日々の社会生活でローマの力を目の当たりにし、神殿に行けば礼拝をしているのだか特権階級の私腹を肥やしているのか分からないような状況です。暗い時代でした。光の見えない時代でした。しかし、そんな時代に独りのみどりごはお生まれになったのです。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」という天使の歌声と共に。多くの人は、この光を見ませんでした。光が来たのに見ようとしませんでした。しかし、見た人は確実に見たのです。東方の占星術の学者。異邦人です。律法で禁じられた占いの専門家たちです。羊飼いたち。仕事の都合で安息日を守れないという事でさげすまれていた人たちです。そして、田舎の、これまた蔑まれていた土地の大工であったヨセフとその許嫁マリアは見たのです。マリアとヨセフが赤ちゃんのイエスを神殿に連れて行った時、シメオンという老人は、アンナというこれ又非常に年老いた未亡人は見たのです。イエスに希望を見たのです。神様の言葉はとこしえに立つ!変わる事はないのだ!さて、わたしたちの生きる時代はどうでしょうか。バラ色の時代でしょうか。もうすぐ世界に平和が満ち、差別も飢えもなくなる時がくるでしょうか。私たちの時代もイザヤの時代のように、イエス様がお生まれになった時のように決して明るい時代ではないのではないでしょうか。中東は今にも火が付きそうです。お隣の大国は中華思想の復活でしょうか、世界に力をと働いているように見えます。もう一方の大国アメリカは、自分の国が第一、ではなく、実は自分の国だけが第一という政策に舵を切っているように見えます。日本はどうでしょうか。私が最近一番ショックを受けたのは、日本に希望を持ってこられた実習生のうち本当にたくさんの人たちが過去三年以内に亡くなっているという事でした。自殺した人、殺された人、恐らく病気になっても十分な手当てを受けられなかったり、不十分な経験のままで危険な仕事をさせられたり・・、そんなことがあったのではないだろうか。そして、実は、この数字に上がっていない多くの人たちがそのような不当な扱いに苦しみ、日本人の見下す目におびえ、祖国に帰りたくても帰ることもできずに絶望しているのではないだろうか。それでも、「人手が足りない」という自分勝手な理由で入国管理法を通そうとしている政府。本当に暗い。しかし、今日も神様はイエス・キリストの誕生を語り続けておられます。イエス・キリストの誕生は、希望の源、希望のスタート地点なのです。私たちに、なぜいま、すぐに平和が訪れないのかは分からない。なぜ、今すぐに差別がなくならないのかは分からない。しかし、神様は平和のご計画を忘れていない。それは、必ず来ます。イエス様のお誕生をお祝いする理由は、今もあるのです。希望を語る理由は、今もあるのです。神様は変わることがないからです。そして、今、個人的に苦しんでおられる方がいらっしゃいますか。イエス・キリストはお生まれになったのです。神様は、約束通りに独りのみどりごをお与え下さったのです。キリストの誕生は、神様があなたを忘れていないことのしるしです。希望を失ってはならない、わたしはいる、というメッセージです。

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