救いと栄えは神にかかっている Ⅰ  詩編 68:2

みなさんは賭けごとをした事はありますでしょうか。今はしないがクリスチャンになる前にはした事があるという方もいるかもしれませんね。わたしはした事はありませんが、ボートレース場に行った事があります。え、何のために、と思われるでしょう。以前会社勤めをしていた時、日本船舶振興会が私の担当の一つだったのです。その関係で、仕事でレース場に行った事があります。たくさんの人がいました。みな、真剣です。新聞を手にして、鉛筆を持って、どの船にかけようかと一生懸命でした。真剣になるのも分からないではありません。当たればすごい金額が手に入るのですから。今までの最高賞金をご存知ですか?こちらは競馬ですけれど、2016年8月21日、WIN5。9-1-13-15-17の払戻金が420,127,890円だったそうです。その馬券が一枚いくらなのか知りませんが、100円とか、せいぜい1,000円でしょう。それが4億円以上のお金に化けたのですからすごいですね。でも、9-1-13-15-17のどれか一つの数字でも違ったらどうでしょうか。残念賞はあるでしょうか。ないのです。当たるか外れるか、100か0か、どちらかなのです。それが賭けごとです。そして、賭けごとの欠けるは、釘などに物をかけるという事から来ているそうです。釘が抜けたらかかっている物は落ちてしまいます。抜けないと信じてかけるわけです。今日の御言葉は、二つのものが神にかかっているとあります。かけてある。抜けたら大変、と読んでもいいし、賭けごとのように神に賭けた、と読んでも結構です。その二つの物は、わたしの、つまりあなたの救いと栄です。救いといわれても、わたしには別に何からも救ってもらうものなどないと思われるかもしれません。金銭的な助けや救いは必要ないかもしれません。健康そのもので、この面でも必要ないかもしれません。仕事も順調で、必要ないかもしれません。しかし、すべての人の共通して必要な一つの救いがあります。それは、罪からの救いです。罪といわれるとすぐに犯罪を思い浮かべてしまうでしょうか。そして、私には関係ないと思われるかもしれません。しかし、神様は、ローマの信徒への手紙3章23節で人は皆、罪を犯して神の栄光を受けられなくなっていると、またエフェソの信徒への手紙2章1節で、私たちは自分の過ちと罪のために死んでいたと教えます。エフェソの信徒の手紙を続けて読みますと、世の支配者、空中に勢力を持つ者、不従順な者たちの内に今も働く霊に従って歩んでいたとあります。口語訳では、世のならわしに従って歩んでいたと書かれています。世のならわしに従う生き方。それは強い事、大きい事、速い事を価値とする生き方であり、自分ファーストの生き方です。どこかの国の様子を見ると、その国のリーダーは、国民の繁栄のため、と言いますが、意味するところは一部の持てる国民、強い国民の繁栄のため、そして、その他大勢は、その繁栄の波及によって・・などと言っていますが、実際にはその他大勢はどうでもいいのではないかと思わされる事があります。そのような考え方が、この世を支配する者、かの空中に勢力を持つ者、すなわち、不従順な者たちの内に今も働く霊の考え方の正体です。でも、私たちはそれに反対しながらやはり強くなりたい、大きくなりたいと、それが勝ちであるとしている所があったりします。だから、そうなれない自分を裁いたり、けなしたりします。生きにくくなります。生きることが楽しくなくなります。強い物を羨みます。ひがみます。そのようなところが少しでもあるなと思われるなら、そして、正直に自分を見れば誰もが思い当たるはずなのですが、それならば、私たちは救いを必要とします。今、羨んだりひがんだりと言いましたが、それをエフェソの3章3節で口語訳では「怒りの子」といっています。自分に怒り、人に怒り、神に怒る。良いも悪いもない。それが、生まれながらの人の自然な姿です。でも、そこから救われる事が出来る。解放される事が出来る。それは何によるか。いくつの方法があるか。一つしかない。だから、それにかかっているというのです。何にかかっているのでしょうか。それは自分次第。自分を磨き、鍛え、強くなる。あるいは、心を鍛え、そのような世俗を超絶する。そうでしょうか。そこにかかっているのでしょうか。そうではなく、救いは神にかかっていると聖書は、聖書を通して神様は一生懸命に、必死になって語りかけています。エフェソの信徒への手紙2章4節から9節を読んでみましょう。「しかし、憐れみ豊かな神は、私たちをこの上なく愛して下さり、その愛によって、罪のために死んでいたわたしたちをキリストともに生かし、-あなた方の救われたのは恵みによるのです-キリスト・イエスによってともに復活させ、共に天の王座に着かせて下さいました。」罪のために死んでいた、つまり、この世の価値に振り回されて、支配されて、それが絶対だと信じ込まされて、そのために本来の自分を生き生きと生きる事が出来なかった、窒息させられていた、そういう意味で死んでいたわたしを、あなたを神様は愛して下さり、このままほってはおけないと、イエス・キリストによってそんな生き方にサヨナラをする事が出来るようにして下さり、新しい生き方に復活させて下さり、共に王座に着かせて下さった。つまり、最高の自分を生きるようにして下さったのです。あなたは豊かに生きたいですか。そうだと思います。それでしたら、豊かさとは何かを知らなければなりません。それについては、次週、あなたの栄は神にかかっているというテーマでお話ししたいと思います。

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