神が共にいてくださるために Ⅲ 第二コリント 13:11-13

コリントの信徒への手紙二 13章11節から三回目のメッセージです。わたしたちはすでに、神が共にいてくださるために喜んでいるべきこと、完全な者になるべきことを聞いてきました。何に喜ぶのか、完全とはどういうことなのかを聞いてまいりました。今日は、「励まし合いなさい」ということにつき、神様に聴きたいと思います。あなたは励ますのが得意でしょうか。人を励まし、また自分を励ますのが得意でしょうか。辞書を引くと、励ますとは気持ちが奮い立つようにしてやる、元気づける、激励する。また、声などを激しくする。強くするとありました。勇ましいイメージがあります。頑張れ、もっと気合を入れろ。そんな風なイメージです。車でいえば、アクセルを踏み込むことです。しかし、踏み込みっぱなしだと、また、もう踏み込んでいるのにさらに踏み込めと言われると疲れてしまうし、やがては壊れてしまいます。サービスエリアに停めて、しばらく休ませるのも励ましです。車ではなく人でも、頑張れ、もっと気合を入れろ、というメッセージだけだと疲れてしまうし、壊れてしまう、つまり病んでしまうかもしれません。そういう励ましがあるとともに、大丈夫だよ、わたしが一緒にいるよ。そういう励ましもあるように思います。頑張れ式のメッセージは、土台に大丈夫というメッセージが十分に据えられてのことでしょう。また、わたしたちは自分や人の欠点と思われるところを指摘して励ますより引き下げることの方が得意なようです。罪の性質によって、プラスよりもマイナス、引き上げるよりも引き下げる方が得意なのです。そんな私たちに、今日の聖句は励まし合いなさいと言います。そして、励ますというのは第一に不十分さに目をつぶるのではないけれども、それよりもむしろ相手の良いところを認めることに努めるという事のようです。聖書もフィリピの信徒への手紙2章3節で、「何事も利己心や虚栄心からするのではなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れたものと考え」なさい、と言っています。さて、聖書において励ますとは具体的にどのようなことでしょうか。神様はどのようなことを励ますと言っているのでしょうか。第一に神様の目で人を見るということです。普通、わたしたちは神様の目で自分や人を見ることをしません。人と人を比べて、あるいは自分の理想像と自分自身を比べて励まします。ですから、基本的に励ましは否定的になるのです。「もっとしっかりしなければ」、「頑張らなければ」、「そんなことではだめ」。あるいは、周りを見下げて相手に対して否定的になります。「あの人よりはいい」、「あんなになったらダメ」、「あのようにはなりたくない」。神様は、人との比較で私たちを見ません。イザヤ書43章4節を、これは新改訳で読みますが、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。私はあなたを愛している」とあります。この愛は、アガペーの愛と言いますが、何ができるからとか、かっこいいからという条件なしに、そのままで愛しているという意味です。エフェソの信徒への手紙2章10節。今度は聖書協会共同訳で読みますと、「私たちは神の作品であって」とあります。製品は取り換えがききます。不良品も出ます。しかし、作品はその人の魂が込められた、取り換えの利かない、かけがえのないものです。そして、イエス様は、インマヌエルなるお方として世に来られたとマタイによる福音書1章23節は伝えます。いつも共にいてくださるという意味だと解説があります。どうしていつもいてくださるのか。あなたが便利な人で、そばに置く価値があるからではありません。あなたを愛しておられるからです。励ますというのは、神様の目であなた自身を、また人を見ることだと申しました。二番目に大きな物語を見るように励ますということです。この、「神が共にいてくださるために」というメッセージ・シリーズの一回目を思い出してください。神様の大きな物語がある。それは、わたしたちを罪から救い、自然を解放し、歴史を解放する、つまり愛と義の世界を実現することです。その大きな物語の中に私たち一人一人の物語があるという事でした。ヨセフの物語を例にとって、彼の物語が大きな物語の中に組み込まれたものであったことを見ました。私たちの物語だけを見ると山もあれば谷もある。明るい場面もあれば暗い場面もある。いや、暗い場面の方が多いこともあるでしょう。谷が深いこともあるでしょう。しかし、ヨセフの苦労多い人生が、でもその苦労を通して神様の大きな物語、彼と彼の家族を救い、そして、彼の子孫から救い主イエス・キリストを誕生させるという神様の大きな物語の中での出来事であったことを学びました。私たち一人一人の人生、一人一人の物語も同様です。光もあれば闇もある。そして、わたしたちは得てして闇に目を奪われ、記憶に残り、光は得てして忘れてしまいがちです。「励まし合いなさい」。神様の大きな物語の中で、すべてのことは働いて益とされるのだ。すべてのことは最善のためなのだということを憶え、励まし合おうではないかと神様は呼びかけます。直接、「あなたの苦労は最善のためですよ」と言われても、入ってこないこともたくさんあるでしょう。そのように言う事が出来なければ、最善に導かれていることを信じてその方のために祈りましょう。祈り切りましょう。マイナスではなくプラスに、人との比較の中で人の目が見るようにではなく神様の目で自分を、人を見ることを心がけ、大きな物語の中で起こる私たちの物語。山も谷もある物語の中で谷の中にいるとき、神様の大きな物語の中で最善に導かれるのだと励まし合いましょう。祈りましょう。神様は、わたしたちと共にいてくださいます。

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