神が共にいてくださるために Ⅳ 第二コリント 13:11-13

「神が共にいてくださるために」というテーマで四回目のメッセージです。今まで、神が共にいてくださるために喜んでいなさい、完全な者になりなさい、励まし合いなさい、と聴いてきました。今日神様は、思いを一つにしなさいとおっしゃいます。教会において思いを一つにしなさい。それは、どのようなことなのか、また、わたしたちの教会はどのような思いを一つにしているのかを聖霊の助けの下で思い巡らしたいと思います。思いを一つにするというのは、例えば教会の一人一人が皆同じ意見を持つ、応援する野球やサッカーのチームは同じ、というような事ではない事は容易にお分かりになります。神様は一人一人にそれぞれの個性や好みを与えて下さっているからです。皆同じ政治的な立ち位置、同じ政党を支持するべきだという事でもない。そのような事ではなく、教会として一つの、同じ焦点に思いを合わせる、使命を共有するという事です。元より教会は皆同じではありません。大きく言えば、イエス・キリストを伝えるという使命で一致しますが、どのようにという点ではそれぞれ異なっています。この事を知る事は大切な事です。皆、キリストの愛を伝えるという使命は同じなのですが、ある教会は社会的に弱い立場に立たされている人に思いを寄せ、支援することでその事をしようとします。また、ある教会は、社会的な活動よりも、とにかく福音を言葉で語ることのみに集中します。イエス様は、教会は人の体にたとえられ、あるものは目、あるものは鼻の働きをするがどちらも大切な機能であり、目が鼻を笑ったり鼻が目を要らないと言ったりする事はないように、異なったタイプの教会を批判するのではなく、自分と同じではないかもしれないが尊重し合うように教えています。わたしたちはその事を覚えて、自分の教会のスタイルを尊重するように他の教会のスタイルも尊重しなければなりません。また、教会を探している方が来られた時に、私たちは、私たちの教会はこういう教会ですということを崩すことなく伝えられるべきだと思います。それでは、わたしたちは、どのような思いを一つとしている、共有しているでしょうか。まず、私たちは「開かれた教会」というビジョンを共有しています。どんな人にも開かれていて、泣き言を安心して言えて・・ということをビジョンに掲げていますから、私たちの教会はエリート集団というより、大衆的な教会だと思います。そう、わたしたちの教会は弱さを持ち、弱さを赦されてキリストにつながっているという所に立ち続ける教会、どんなに成長させて頂いたとしてもその立場に居続ける教会という思いで一致していると思います。また、安心して弱音を吐けるということは、弱音を吐く相手がいるという事でよね。だから、わたしたちの教会は聴く教会だという思いを共有していると思います。聴くことは本当に難しいです。まず、肉体的に疲れることです。聞き流したり、雑談したりするのに体力はそんなに必要ないかもしれませんが、じっくりと、何を言わんとしているのか、寄り添って聴くには注意力の集中が必要ですし、だから体力も消耗します。聞くところによるとプロのカウンセラーでも一日1時間ずつ3人位が精いっぱいだそうです。だから、聴かせて頂くのは自分を与えることです。そして、「受けるより与える方が幸いである」という主の言葉を思いつつ聴かせていただくのです。体力的なことだけでなく、他の面でも訓練のいる、やりがいのあることです。私たちは、じっくり聴かせて頂くよりも意見を言ったり、教えたくなってしまうのです。「こうすればいいよ」とか、「私にもそういう事があったけど、こうしたよ」とか、「あなただけじゃないよ」とか、さらには、「あなたよりもっと大変な人がいるから」などと言いそうになってしまうのです。でも、一人一人の事情の中で、この人はどんな思いなのだろう、何を感じているのだろう、何故、そう思うのだろう、と聞くことはやりがいがあります。ですから、自分の力を超えているなとか、相手の人と同じ問題を自分も抱えていて、だから聞くのが大変だなとか、わたしの方が聴いてもらいたくなっちゃうなというときには、誰かほかの人に聞いてもらうようにしていいのです。私たちは、弱音を吐ける教会。ということは、それを聴こうとする教会。一人一人が与えられたはかりに応じて、その働きを担えればと思います。そしてもう一つ。わたしたちは、福音を伝える教会でありたいという思いを共有しています。教会は、とにかく楽しい。そうあるべきだと思います。仲良しクラブでありたい。それも大切です。様々なプログラムがあり、そう、わたしたちの教会には日曜日の礼拝や水曜日のディボーションと祈りの会のほかに英語de聖書、クリスチャン・カウンセリングの学び、ゴスペル・フラ教室、手作りの会、話食の会があり、さらに9月からはゴスペルを歌う会も始まります。どの集いも楽しい集いです。日曜日の礼拝の後には、残れる方はみんな残って一緒にお食事、これも楽しいです。でも、楽しいだけのために集まるのではありません。皆、神様の前に静まり、また賑やかに、あるいは静かに賛美を歌い、み言葉をひも解いて自らが神様との交わりを深めるとともに、神様と共にあること、神様と共に歩むことの素晴らしさ、世の中のはかりで測ったあなたの価値ではなく、神様の目の前に一人一人がみなかけがいのない存在であること、本当のことを伝えることをしない、出来ない世ではなく、神様が伝える真のメッセージを伝えたい、伝えよう、という思いを一つにしています。だから、祈る時、自分のことだけを祈るのではなく、家族のため、学校や職場の人たちのため、日本のため、そして世界のために祈ります。わたしたちはこれらの思いを共有しましょう。その思いを大切にしましょう。そして、神様に与えられたその思いの上に私たちの教会を築いていきましょう。

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