神の言葉が活性化する Ⅰ 使徒 6:7

先週33回に渡る「山上の説教」のメッセージが終了しました。またシリーズでのメッセージをと考えておりますが、準備期間が必要ということで、しばらくあちらこちらの聖書箇所を紐解きたいと思います。今日は、使徒言行録6章7節から神様に聴こうと思います。「こうして、神の言葉はますます広ま」ったとあります。具体的には弟子の数が非常に増えていき、祭司も大勢信仰を持ったと書かれています。このような御言葉を読むと、わたしたちの教会にもこのようなことが起きてほしいと願うものです。毎週礼拝の後に新しい仲間がくわえられ、共に礼拝を捧げる人が増えるようにと皆さんで祈っているのは、この願いの表明です。今日の聖書は、何が始まりで多くの人が救われたのか。多くの人が教会に加わったのか。それは、神の言葉が広まったこと、それが始まりだったと語っているわけです。この広まったということ、ここに鍵があるわけです。さて、広まるとはどういうことなのか。元の言語であるギリシャ語を見ますとオークサノーという言葉であることが分かります。辞書を引きますと成長する、発育する、増加する、栄える、広まるといろいろな意味がある事を教えてくれます。つまり、日本語で表現しきれないニュアンスがあるということでしょう。わたしの言葉で言えば、もともと成長、発育する力というかエネルギーがある。しかし、何かのきっかけがないと成長しない。そのきっかけがあったのでオークサノーした。あるものが活性化したということだと思います。神様のみ言葉は、なるほどそのままではただの言葉です。聖書もただのお話、さらには文字の羅列です。しかし、そこには眠れるエネルギーがある。わたしたちを、また教会を生かし、目覚めさせ、成長、発育させる力があるということです。今日は、その力はどのように引き出されるのか、活性化するのか。あなたがどのように神の言葉に接し、対応すればそれは活性し、あなたを生かすのか。それを学びたいと思います。ところで、成長とは環境次第だという考えがあるかもしれません。環境が整えば成長し、整わなければ成長しない。確かに植物などはそうでしょう。適当な日照と気温、そして水。そのような条件が整えば成長しますし、そのバランスが悪いと成長しません。今年は梅雨が長く雨ばかりの日が続きました。かと思ったら急に極暑の日々が続きました。教会農園の作物にとっては良い環境ではありませんでした。おかげで、ゴーヤもキューリも実りも少なく大きさも小さかったですね。わたしたちや、また教会の成長もそうなのだろうかというとそんなことはないのです。すべて環境にかかっているというわけではないのです。事実、使徒言行録の1章から今日の個所までを振り返りますと条件がそろっていて、その為に神の御言葉が広まった、活性化したとは言えません。確かに2章を読むと聖霊が教会に、一人一人の心に住まわれました。3章では、奇跡が行われ、多くの人が信じたことが書かれています。しかし、4章では外からのマイナス要素、つまり権力者による取り調べ、5章では内側からのマイナス要素、教会内部の混乱があったことが分かります。どうも、環境が良ければ、何の問題も起こらず、すべてが順調だと神の力が現れるということではないようです。それでは、何が神の言葉を活性化させたのか。四つの要素があります。そして、それは人の成長、活性化と同じ要素です。今日は、その第一の要素をお話しします。それは、目標があるということです。ずいぶん昔、ラジオでガッツ石松という昭和時代のボクサーのインタビューが放送されていました。ガッツ石松という人は中学を卒業して集団就職で東京に来ました。仕事を覚えるのがあまり得意でない。このまま続けていてもどうだろうかと不安になっていたそんな時、ボクシングの世界チャンピオンになると大きなファイトマネーを稼ぐことができると知りました。知ったその時決心したそうです。チャンピオンになろう。そして両親にも楽をさせてやろう。それから彼は、昼間は仕事をして夕方からジム通い。朝も早く起き、日曜日も休まずトレーニング。アナウンサーが、「友達たちはお休みの日に映画に言ったりデートしたり、うらやましくありませんでしたか」と聞きました。「マー、そうですけれど・・」と答えるのかと思いました。しかし、違っていました。世界チャンピオンになろうと決めていたから、友達が映画を見に行っても、デートを楽しんでいてもちっとも羨ましいと思わなかったと語ったのです。彼には、世界チャンピオンになるという明確な目標があったのです。目標があると人は活性化します。信仰の世界も同じです。漫然と信仰生活をし、教会運営をするのではなく、目標を定めることです。私のモットーである聖句は詩編27編4節です。「一つのことを主に願い、それだけを求めよう。命のある限り、主の家に宿り 主を仰ぎ望んで喜びを得 その宮で朝を迎えることを」。色々なことを目標にするのではなく、主と交わり、主を仰ぎ、御心を求め、それをなしていきたい。皆さんも、まず主を人生の軸に据えてください。その時に何があなたのなすべきことなのかが見えてきます。ちょうど、ガッツ石松が世界チャンピオンになることに目を据えた時になすべきことが、朝早く起きてランニングすること、夕方仕事が終わったらジム通いすること、友達が楽しそうにデートをしていてもそれに気を取られないこと、そのような、なすべきことが見えたのと同じです。あなたの軸足を神様にかけた時、あなたの目線を主に集中することとしたときになすべきことが見えてきて、また神の御言葉は活性化し、神様の力があなたの人生に働き始めます。その力は偉大です。エフェソの信徒への手紙1章19節に「わたしたち信仰者に対して絶大な働きをなさる神の力が、どれほど大きなものであるか、悟らせてくださるように」とあります。それは、イエスを復活させた力だとあります。死にも打ち勝つ力。神の御言葉が活性化するとき、あなたがその言葉を信じて人生をかけるとき、その力が働きます。教会も同じです。もちろん教会生活は楽しくあるべきです。良いお話が聞けるかなといらっしゃるということもあるでしょう。しかし、イエス様は教会に福音を伝えることを命じておられます。そのために、愛し合うようにと命じておられます。わたしたちがお互いの違いを認めて、理解できないところを裁くことをせず、まさに主がおっしゃったように自分がしてほしいことをお互いにするときに教会の力は活性化されます。今日は、最初にお話ししましたように御言葉が活性化するための四つの要素のうち第一のものをお話ししました。来週、残りの三つの要素をお話しすることにいたします。

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