神の言葉が活性化する Ⅱ 使徒言行録 6:7

先週に続いて神の御言葉が活性化するための四つの要素について、お話しします。第一の要素は、目標があるということでした。わたしたちは、あれもこれもと二兎も三兎も追ってはなりません。神の言葉に聴き、御言葉を思い巡らし、あなたに語りかけられているところを聞き取り、従うことを生活の軸、目標とするときに神様のみ言葉は活性化し、あなたを導き、力を与え、あなた自身が最高に生きるようにしてくださいます。教会も神様のみ言葉に従うことを、お互いが愛し合うことを目標にしなければなりません。その時に主の体として教会は生かされます。神の言葉が活性化する要素、二番目。神の力は信頼されると活性化します。これまた古い話ですが伝説的に語り継がれている出来事です。1979年、広島対近鉄、今のオリックスですが、日本シリーズが戦われていました。9回裏、近鉄の攻撃。7回からマウンドに上がっていた広島のリリーフ・エース江夏豊。ヒットと盗塁、さらには味方のエラーで無死三塁のピンチを招きます。そこからフォアボールと敬遠で無死満塁という一打逆転サヨナラで日本一を奪われるという場面です。ここで監督はピッチャー交代を考えたか。考えもしなかったのです。江夏を信頼したのでした。意気に感じた江夏は次の代打の選手を三振、そして次の打者石渡。ボールの見逃し方と一塁走者の目の動きからスクイズを見抜きます。あわや暴投になるかもしれない球を投げて空振りさせ、飛び出していた三塁ランナーはタッチアウト。江夏は、見事胴上げ投手になりました。バッターをうまく処理できず、しかも味方がエラーして腐ってしまう事だってできたでしょう。しかし監督に信頼され、「お前しかいない。お前に任せる」と言われて力が出たのです。あなたもそうではないでしょうか。何かを任せられるとき、意欲が、力が出てくるのではないでしょうか。神の言葉もあなたが信頼しなければただの言葉です。イエス様はご自分の故郷では大きな働きをなさることができなかった。人々が、彼はヨセフとマリアの子ではないか、大工の子ではないかと言うばかりでメシアであることを信頼しなかったからです。ヨハネ4章に伝えられるサマリアの女性は信頼しました。「もしかしたら、この人がキリストかもしれません」と言っています。「もしかしたら」ということは、その時は、まだ確信できなかったのかもしれません。しかし、人々に伝えるだけの信頼はありました。からし種ほどの信仰でも十分。とにかく信頼する。その時、神様の言葉は活性化するのです。まず、神様があなたを信頼して下さったというところが出発点です。なぜなら、神様があなたを選び、ご自分の子、宝としてくださったからです。どんな私でも、どんなあなたでも神様は信頼を失うことはありません。そのような自分なのだと自分を信頼するところから始めましょう。そして、そのようにあなたを信頼して選んでくださった神様の言葉を信頼し、そこにかけてみましょう。御言葉は、あなたの人生の中で活性化します。教会も同様です。エフェソの信徒への手紙1章22節には、「神はまた、すべてのものをキリストの足元に従わせ、キリストをすべてのものの上にある頭として教会にお与えになりました。教会はキリストの体であり、全てにおいてすべてを満たしている方の満ちておられる場です」とあります。2章22節には、教会は「霊の働きによって神の住まいとなるのです」とあります。3章21節には、「教会により、また、キリスト・イエスによって、栄光が世々限りなくありますように」とあります。さらにテモテへの手紙一3章15節には「神の家とは、真理の柱であり土台である生ける神の教会です」とあります。教会はキリストの体、真理の柱、聖霊の働くところ、すべての栄光が宿るところ。そういう教会になりなさいと言われているのではありません。神は、もう私たちの教会をそのようなものと定め、そのようなものと見、そのようなものとして接して下さっているということです。この御言葉に信頼しましょう。まず信頼して下さった神様、その神様の言葉を今度は私たち教会が信頼しましょう。その時、わたしたちの教会において御言葉は活性化します。三つめは程よい休息です。働きづめはダメ。休むときには休む。天地創造の神は7日目に安息日を設け、人も家畜も、土地もすべて休むことを命ぜられました。人が人として生きるためです。信仰生活での休息とは何もしないことではありません。神様の前に静まること。忙しい毎日、やらなければいけないことがたくさんある。でも、時間を取って、聖書を開いて読み、祈り、思い巡らす。神様の言葉が働きだす原点がここにあります。教会もただ忙しいだけでは問題です。また、カルトと言われるグループが休む暇なく忙しくすることによって人をコントロールすることが知られています。つまり、休みを取らないと人は機能しないのです。忙しいという字が示す通り、忙しすぎると心を失うのです。人格を失うのです。神様の前に静まる時を取り、その時間を大切にしましょう。神様の言葉が活性化するための要素。最後にぶつかることによって活性化する。これは、すでに述べました。使徒言行録の1章からを振り返った時、エルサレムの教会で素晴らしい出来事もあったけれどもそうでないこともあった。迫害もあった。しかし、神様の言葉、神様の力はそのような中で活性化するのです。パウロも経験しました。神は仰ったのです。コリントの信徒への手紙二12章9節です。「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ。」侮辱、窮乏、迫害、行き詰まり。パウロの周りには大変な出来事が次々起こったようです。しかし彼は言います。そのような「状態にあっても、キリストのために満足しています。なぜなら、わたしは弱い時にこそ強いからです。」教会も、歴史をたどると、不思議と思われるかもしれませんが迫害や困難の中で成長してきたのです。今、世界で最もキリスト者が増えているのはどこだと思いますか。中国、イラン、パキスタン・・。いずれも国として、または文化的にキリスト教に不寛容な国や地域です。しかし、そのようなところで福音は活性化し、多くの新しいキリスト者を生み出しているのです。ただ、そのような出来事、困難に押しつぶされてひねくれた人間、「どうせ日本の伝道は」と斜に構える教会になってしまうこともあります。ポイントはどこか。“ぶつかる”と言いましたが、つまり、困難な状況の中で主が共にいてくださることを思い出し続けることです。確信が無くなりそうになったら神様にそのことを申し上げましょう。支えて下さい、信仰を保たせてくださいと祈りましょう。それが“ぶつかる”ということです。ぶつかるなら、神の言葉は活性化します。神の力があなたに臨みます。御言葉が活性化する人生を歩んでまいりましょう。

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