2025年11月9日 証し&礼拝礼拝メッセージ 『あなたは神の劇場の役者』
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今日のメッセージの題を聞いて、少し「面白いな」と感じた方もおられるかもしれません。「神の劇場ってなんだろう」「そこに登場する人って誰のことだろう」と思われたかもしれません。これからのお話は、その解き明かしでもあります。
今日の聖書箇所には、ヨハネ——他の福音書では「バプテスマのヨハネ」と呼ばれている、この福音書を書いたヨハネとは別のヨハネ——について書かれています。6節には「神から遣わされた一人の人がいた。その名はヨハネである」とあります。新改訳2017では「神から遣わされた一人の人が現れた」と訳しています。
この「現れた」という言葉は、演劇で舞台に役者が登場することを思い起こさせます。役者は、当日にいきなり舞台へ飛び出すわけではありません。台詞を覚え、頭の中で役を組み立て、体を動かして役作りをし、舞台稽古をして本番に臨みます。
ではヨハネはどうだったでしょうか。彼は預言され、その預言から700年余りの時を経て、歴史という舞台に登場しました。イザヤ書40章3節には「呼びかける声がある。主のために、荒れ野に道を備え…主の栄光がこうして現れるのを肉なるものはともに見る」とあります。ヨハネは、この言葉が自分によって実現したのだと、23節で語っています。
もう一つ、詩編139編16節を見てみましょう。
「胎児であったわたしをあなたの目は見ておられた。わたしの日々はあなたの書にすべて記されている まだその一日も造られないうちから。」
この二つの聖句から分かることは、ヨハネだけでなく、わたしたちもまた、この世に誕生する前から神の御思いのうち、御心のうちにあったということです。
芸術家が作品を生み出すとき、ただ筆を振るうだけで偶然に絵が出来上がるのではありません。まず頭の中にイメージが生まれ、それを形にして作品が出来ていきます。それと同じように、わたしたちも神のイメージ、神の作品として生み出されたのです。エフェソの信徒への手紙2章10節に「わたしたちは神の作品」とあります。
そしてヨハネは、使命をもって世に生まれました。いえ、遣わされてきたのです。それは、人々が主の栄光を見るようになるためでした。さらに詩編には「彼の日々は神の書に記されている」とあります。
こうして見ると、ヨハネは私たちの雛型、モデルのような存在です。私たちも神のご計画の中にあって、生まれる前から神のイメージとして神の御心に置かれ、生きる日々は神の計画のうちにあり、一つの目的をもって生まれて来たのだと、聖書は語っています。その目的とは、ヨハネと同じく「神の栄光が現れるのを人々が見ること」です。
ヨハネは、そのような者として人生という舞台、世界という舞台に登場しました。私たちも同じように登場したのです。そして、あなたや私は教会という仲間のうちに集められました。まるで劇団が作られたようです。
劇団の役者は、それぞれが好き勝手に演技するわけではありません。それでは作品にならず、ただの混乱した芝居になってしまいます。劇作家がいて、舞台監督がいて、役者は劇が伝えようとするメッセージを表すために役どころを演じます。登場のタイミングも計算され、「どうしてもこの時」という時に登場します。
伝道の書3章1節に「すべてのわざには時がある」、そして「生まれるに時があり」と続きます。舞台への登場です。
あなたは、偶然あなたの誕生日に、日本という国に生まれたのではありません。もしかしたら残酷なことに、両親に望まれないまま生まれてきたという方もいるかもしれません。私はそのような方をよく知っており、その話から、それがどれほど深い傷となるかを知りました。幸い、その方は「本当は神様に望まれ、神様の作品として、神様の時に生まれた」のだと知り、自分の価値を見出すことができました。
役者にそれぞれ役があるように、わたしたちの人生も様々な経験を通ります。さまざまな「場面」を通り、一人一人がそれぞれの人生を生きます。しかしそこには「自分の役どころ」があるのです。その場面で神と共に歩み、神に信頼し、祈り、期待し、ある時は主にあって苦しみ、悩み、それでも歩む。その姿を通して、実は神の栄光が人々に現れる役割を担っているのです。
人生は劇に似ていますが、ただ一つ違う点があります。それは「一人一人が全員、主役だ」ということです。役どころは違います。でも主役。あなたは神に用いられ、あなたでなければ演じることのできない舞台の上に立たされているのです。
劇作家にとって、登場人物は一人一人が大切です。最近まで朝ドラで、やなせたかしの物語が放送されていました。私はほとんど見なかったのですが、ある日たまたま妻が見ているのを一緒に見た時の一言が印象に残っています。アンパンマンをアニメ化することを熱心に勧めるテレビ・映画関係の人物に対し、やなせさんが「ぼくはアンパンマンを傷つけたくないんだよ」と言うのです。作者がキャラクターをどれだけ愛しているかを示す言葉です。
神様は、ご自分のかけがえのない作品である私たちに対して、同じことを言われるに違いありません。それなのに私たちは、そのことを知らずに出来事を見て、神様に不満を覚えたり怒りを覚えたりすることがあります。神様は私たちを愛し、目的のために用いてくださいます。主の栄光を人々に示すという目的のためです。
それは、「完全な人生」「欠点の全くない人生」「罪のない人生」を生きることではありませんし、そもそも不可能です。義なる神は不正や罪を憎まれますが、その神の裁きのもとにいるはずの私たちを、なおも憐れみ、惜しみ、キリストが私たちの代わりに罪を負って裁かれることによって赦し、神の子としてくださり、天国への道を歩む私たちのために執り成してくださり、支え、導き、共にいてくださるのです。
そのような人生を感謝して歩むとき、弱い私たちがなおも赦され、愛されて歩む姿こそが、人々に主の栄光を伝えるのです。
※以上のテキストはChatGPT による校正に基づいて修正された説教メッセージです。









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