2025年12月21日 クリスマス礼拝メッセージ 『そして、残された羊飼いたち』

https://www.youtube.com/watch?v=0DM2QZMAoOc

今日は12月21日、イエス様がお生まれになったとされるクリスマスの日に最も近い主日ということで、クリスマス礼拝を守ります。クリスマスがイエス・キリストの誕生を祝う日であることは、クリスチャンでない方々もよく知っています。しかし、クリスチャンはその誕生という事実の中に「神が何を語ってくださっているのか」ということに心を向けます。今年、この礼拝のメッセージを祈りのうちに準備している間、私の心にもその問いが静かに湧き上がってきました。最初からはっきりとした興味があったというよりも、準備を進めながら神様が掘り起こしてくださったという思いがします。これは神からの導きだと信じ、今日みなさんと分かち合いたいと思います。
聖書箇所はルカによる福音書から読んでいただきましたが、ご存じのようにイエス誕生の記事はマタイによる福音書にも伝えられています。そちらは朗読しませんでしたが、触れながらお話をしたいと思います。
イエス誕生の場面に登場する人物は、ヨセフとマリア、東方から来た占星術の学者たち、そして羊飼いたちです。それぞれは、どのような心の状態でイエス誕生の日を迎えたのでしょうか。


  1. ヨセフとマリア
    二人はまだ正式な夫婦ではなく、いいなずけの関係でした。しかしマリアは身重でした。結婚前なのにお腹は大きい。普通に考えれば、周囲から怪しまれたことでしょう。しかも、まさに出産が近づいている時期です。
    そんな時に、ローマ帝国の命令によって住民登録のために、いわば本籍地であるベツレヘムまで旅をしなければなりませんでした。彼らが暮らしていたナザレからベツレヘムまでは約115キロメートル。時速4キロで休みなく歩いても30時間弱という距離です。石ころが多く起伏のある道を、マリアはロバに乗っていたでしょうか。荷物もあったはずです。大変な旅であったことは容易に想像できます。二人とも疲れ果てていたことでしょう。
    ようやくベツレヘムにつき、宿を探しましたがどこも満室でした。やっと家畜小屋に場所を借りることができ、マリアはそこで出産しました。
    旅立つとき、二人はどんな思いだったでしょうか。
    「何もこんな時に住民登録の命令が出なくてもいいじゃないか。」
    そんなふうに思ったかもしれません。道中も、
    「もうへとへとだ。身重のマリアが心配だ。神様、なぜこんな時に旅をさせるのですか。」
    という思いがあったかもしれません。宿も取れず、家畜小屋。踏んだり蹴ったりです。
    「いったい神様は何をしているのだろう。」
    疑問がいくつもあったに違いありません。ヨセフやマリアを“ほとんど罪がない人”のように考えることがありますし、カトリックではマリアは無原罪とされていますが、二人が生身の人間であったことは間違いありません。疑問も、怒りに近い感情も心のどこかにあっただろうと思います。

  1. 東方から来た占星術の学者たち
    彼らは異邦人でした。異邦人はユダヤ人社会では歓迎されません。しかも、彼らは律法で禁じられている占星術の専門家でした。どこに向かうのかもはっきりしない。ただ星が現れたので、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方を拝みに来た」と言っています。
    神様は、このような人々にも礼拝を許されたのです。
    しかし、彼らの道中にはどんな思いがあったでしょうか。
    高揚した気持ちもあったでしょう。けれど同時に、不安が大きかったに違いありません。
    「ユダヤ人にどんな目で見られるのだろう。」
    「占星術の専門家とわかったらどうなるのだろう。」
    そんな不安は、ユダヤの地に近づくほどに、さらにその地に入ってからはなお一層大きくなったことでしょう。

  1. 羊飼いたち
    羊飼いたちはごく普通の日常を過ごしていました。夜通し羊の番をするのは大変に見えますが、彼らにとってはいつものことです。それほど変わらない、平穏な日常でした。
    そこに異変が起きました。
    天使が近づき、主の栄光が彼らを照らしたのです。羊飼いたちは心の底から驚き、そして恐れました。
    「何が起きているのだろう。」
    天使は「ダビデの町ベツレヘムにメシアが誕生した」と告げました。しかし「そこに行け」とは言っていません。
    何人いたのかはわかりませんが、彼らは互いにこう話し合ったと聖書にあります。
    「ベツレヘムに行こう。主が知らせてくださったその出来事を見に行こうではないか」(15節)
    最初から行くつもりだったのか。あるいは迷いながら話し合い、行くことを決めたのか。どちらにせよ、結論は「行こう」でした。
    しかし全員で行ったでしょうか。もし全員で行っていたら、羊は誰が見守るのでしょう。これは想像ですが、何人かが選ばれてベツレヘムへ行き、何人かは残って羊を守ったのだと思います。おそらくそうです。
    こうして遣わされた羊飼いたちはベツレヘムへ急ぎました。夜の羊番をしていた羊飼いたちが町に降りてきて、急ぎ足で、わき目も振らずに向かっていく――少し異様な光景ではなかったでしょうか。
    彼らは、世に遣わされた救い主イエス・キリストの最初の礼拝者となりました。ペトロよりも、ヨハネよりも、誰よりも先に。

  1. 残された羊飼いたち
    羊のそばに残った羊飼いは、この出来事の「登場人物ではない」でしょうか。いいえ、そうではありません。彼らもイエスのお誕生に確かに立ち会った人々です。もし彼らが羊を守るために残っていなければ、仲間の羊飼いたちはイエス様のもとへ行くことができませんでした。
    礼拝して帰ってきた仲間たちは、天使が告げたことが本当だったと興奮して伝えたことでしょう。そして残っていた羊飼いたちも共に主の誕生を喜んだに違いありません。

※以上のテキストはChatGPT による校正に基づいて修正された説教メッセージです。

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