神の言葉に支えられて     Y.I.

早いもので結婚して7年の歳月が過ぎました。ここまでの神様の導きを心から感謝しております。

私は約30年前にノンクリスチャン同志の結婚をし、子どもも2人授かりましたがお互いの未熟さのゆえ上手くいかず、離婚となりました。

夫婦問題でどうしたらよいかわからず苦しんでいた時、クリスチャンである弟が相談に乗ってくれ、その事を通して私は神様を信じるようになり、バプテスマの恵みに預かりました。自信の無い私が二人の幼い子どもを育てて行く事は大変な事でしたが、神様は多くの助け手をお送り下さり、未熟な私を育て、子どもと共に少しずつ成長する事が出来ました。子育てに卒業と言う事はありませんが、子ども達が大学生になった時には親として大きな喜びを感じ、ひと段落という思いにもなりました。子どもが小さい頃は子育てが神様から与えられた使命だと思い、それを最優先にしてきましたが、これからは子供に依存する人生にならないように、そして神様と共に自立して歩んで行きたいと思いました。

「結婚」に関しても、御心ならば、もう一度神様の前で結婚をさせて頂き、共に神様に仕えて行きたいと願っておりました。そのような時に、牧師先生から結婚のお話を頂きました。相手の方は良く知っている素晴らしい方であり、とても感謝な事でしたが、いざ本当に結婚となると躊躇する思いもしました。

その時は、母が少し前に介護施設に入居し、父が一人で生活することになったので同居を始めたばかりでした。父が淋しくなるのではないか。子供達とも今離れる事はできないのではないか。その相手の方は牧師の方でしたが、私は牧師の夫人なんてとてもなれる自信が無い。等々たくさんの理由を見つけては真剣に考える事を避けたい思いもありました。

しかし、本当の私の心はどこにあるのだろう。子供が、親が・・では無く、これからの私の人生をどう歩んで行くかを祈り始めた時、漠然としたものから、より具体的な真剣な祈りに変えられていきました。どうするべきか、明確な示しが与えられますように。相手の方もそのような私を大きな愛で支え、待って下さり、共に祈る日々が続きました。その祈りの中で次の御言葉が与えられました。

エフェソの信徒への手紙 5章31節

「それゆえ、人は父と母を離れてその妻と結ばれ、二人は一体となる。」

創世記 12章1~2節

主はアブラムに言われた。「あなたは生まれ故郷

父の家を離れて

わたしが示す地に行きなさい。

わたしはあなたを大いなる国民にし

あなたを祝福し、あなたの名を高める

祝福の源となるように。」

これらの御言葉を通して、これは神様が与えて下さった主人であり結婚であると確信を与えられました。そして、私達夫婦には、「兄弟の愛をもって互いに愛し、尊敬をもって互いに相手を優れた者と思いなさい。」(ローマの信徒への手紙 12章10節)というみ言葉が与えられ、2007年6月、主の祝福のうちに結婚いたしました。

新しい家族も増え、共に励まし合い、尊敬しあい、豊かな生活を送らせて頂いています。

信仰の小さな者ですがこれからも主人と共に神様の御用の為にと祈っております。

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